本日、世話方さん、班長さん、総代さんが集まってくださり、世話方・総代会を開くことができました。心より感謝しています。

 昨年4月より仏事については住職のお役を賜ったのですが、寺院運営の実務に関しては8月からのスタートでありました。この会議で初めて住職として一歩踏み出したような思いがします。

 

若院が「住職の隣の総代さんたち、よく考えたら凄い人たちだよね」と言っておりました。若院にとってもかけがえのない存在になっていくのだなって感じました。坊守と婦人会長が研修のことや食事の話をする。札弦から参加してくださる人がいる。静かに聞いてくださる人がいる。目で頷く人がいる。屋上の雨漏りに助言してくれる人がいる。人がいる。人がいるっていうことは嬉しいことです。

 今年5月に門信徒交流会館の西側屋上の防水工事をしました。以前から雨漏りしていたのですが原因がわからず、世話方さんが屋根裏をのぞいてみたり、バケツを置いてくださったりしてしておりました。放置していては建物を傷めてしまうので工事をしていただくことにしました。

修復まえのシート防水全体に細かな浮きがありました。雨水口付近もひび割れが目立ちました。また窓枠のコーキング材も劣化しており強風で雨が入り込む状態だったと思われます。今回は西側屋上の工事をして経過を見ることにしました。

前住が思い悩んで「建てなきゃよかった」と吐露していた姿を思い出しますが、最近、実務に触れて「前住職が何故こうしたのか」という疑問が頷きへと変わっていくことが多いです。こういう時のために貯蓄管理されていて、高齢で情報デジタル活用も十分にできず体力も視力も低下していく中、アナログ作業の帳面仕事をしながら、お寺の行く末を考えていた姿が連想されてきます。

 私の恩師は「本願には前姿と後ろ姿があります。前姿に出会わねばなりません。」と言われていたことが思い出されます。今、感じている実感を至心信楽と申す気がします。そばにいるうちはケチばかりつけている。陰口ばかり言っている。離れてみて頷かされる出会いがあるのですね。

 他宗に「一往・再往」という教えがあると聞きます。お言葉の味わいは違うと思いますが、良い言葉だなって思います。誰もが人生一度きり。それでお仕舞いか? そうではなく残された誰かの人生に出会っていくものなのだ。そのように感じます。そして「再」の一字に「大事なことは何度でも確かめる」という意味を思うわけです。私が住職の法務をさせていただいてから、日に何度もスケジュールの書いたホワイトボードの前に足を運ぶようになりました。忘れていることはないか心配になるのです。大事なことは何度も確かめたくなる。そこは私もアナログです。なにか前住職の存在は私の心のホワイトボードのように感じます。

 それでも沢山間違う私です。世話方・総代会の後、若院に「何か所も読み間違いしてだぞ」と言われました。「私、落ちこぼれじゃん」というのがスタートでありました。同時に、亡き母の「まじめに、はじめに、それだけでいいから」という言葉も聞こえてきます。ややこしいときほど単純な言葉がささえになるもの。母の一言が聞こえてくるということも本当に有難いです。

 どこもかしこも「孤独」なご時世。今回、お会いしてあらためて皆さんとご一緒に歩んでいきたいと感じました。役員さんだけではなくて、ご法事でお会いした方たちの姿に「西念寺のご門徒は、やさしいから」という前住職の一言を感じております。

 心境についてアップしましたが、今回の検討内容は書面でお届けします。

 

西念寺世話方・総代会をしました

真宗大谷派 西念寺


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