十一月十六日、十七日、西念寺の報恩講が勤まります。当日まで、ひと月を切りました。今日は、報恩講の準備ということを考えています。
法要の準備といえば、お掃除やお荘厳、当日の段取りが思い浮かびます。気持ちよくお参りしていただくために、どれも欠かせません。ただ、準備する側にいると、無事に勤めることばかりに気を取られてしまいそうです。
東本願寺の「報恩講について」には、報恩講の恩を「自らが生きる依り処を教えていただいたご恩」と記しています。親鸞聖人がいただかれた念仏の教えに遇う、そのご恩のことだと説明されています。
そう読むと、準備をする私自身も、教えを聞かせていただく一人なのだと気づかされます。迎える人と迎えられる人に分かれていても、ともに聞く場所にいる。お寺の側が何かを用意して、それを持ち帰っていただくだけでは済まないのですね。
聞法という言葉には、少し身構えるところもあるかもしれません。けれど、あらかじめ立派な答えや、整った気持ちを用意しておく必要はないのでしょう。わからないことは、わからないまま、教えに耳を傾ける。私もそこからです。
当日までの準備を進めながら、自分も聞く一人だということを、心に留めていたいと思います。
出典:真宗大谷派(東本願寺)「報恩講について」
準備する私も、聞く一人

