法事というと、お勤めや法話の時間がまず思い浮かびます。そのあとにいただく食事は、どこに置いたらよいのでしょう。今日は「お斎(とき)」という言葉を、東本願寺の案内からたずねてみました。
お斎は、仏事の際にいただく食事のことです。案内では、お斎について「仏事のひとつなのです」と説明されています。お勤めが終われば仏事も終わり、と区切ってしまうと、見落としてしまう時間があるのですね。
食事の用意を考えると、人数や献立、配膳の順番が気になります。どれも大切なことですが、段取りの先には、同じ席で食べる一人ひとりがいます。そして、お膳の上には、自分一人の力で用意できたわけではない食べものが並びます。育てる人、運ぶ人、調理する人。そのつながりは、目の前の器だけを見ていては分からないほど長いものです。
食事を、次の仕事までの間に済ませるものとだけ考えると、空腹が満たされればそれでよいことになります。けれど、ご法事で仏さまの教えを聞いたあとにも、その教えに照らされる暮らしは続いている。お斎について学ぶと、食事の時間も、いただいて生きている自分に出会う場なのだなあと感じました。
だからといって、立派な料理を整えなければ、と準備する方の負担を増やしたいわけではありません。形ばかりに目を奪われず、一緒にいただく時間を大切に受け止めたいのです。
お斎という言葉から、ご法事のあとの食事の見え方も変わります。「いただきます」を次の動作への合図だけにせず、その言葉の前で、少し手を止めてみたいと思います。
出典:真宗大谷派(東本願寺)「葬儀・法事・お墓のこと」の「お斎」節。

