映画が好きで、登場人物たちのセリフや生き様に魅せられたことのある人は少なくないと思います。
私も映画は好きでよく見ますがマニアという程詳しいわけではないので、今回はそんな自称映画好きな私が、考えさせられた映画のセリフ達から、自分自身の生き方を立ち止まって考えてみませんか。

「人はみな死ぬ。だが、本当の意味で生きたと言えるものは少ない」
このセリフは1995年メル・ギブソン監督作品の『ブレイブハート』という、スコットランドの歴史的人物でもあるウィリアム・ウォレスが、イギリス統制下にあるスコットランドで、大きな抵抗運動を展開する中で生まれる物語を描いたものになります。彼自身最後まで大義を貫き通すのですが、その先はネタバレになると思いますので控えます。。
「人はみな死ぬ」とは実に当たり前なことを言っているように感じますが、その後「本当の意味で生きたと言えるものは少ない」とは一体どういうことなのか。違和感が残る言い回しになっており、「本当の意味で生きることとは何か??」という疑問を投げかけられているように思います。
ここで、上に残った疑問のヒントをさらに映画の名言に求めてみようと思います。
他人を喜ばせるために生きててはダメ。自分の人生は自分で決めるの このセリフは2010年ティムバートン監督作品の『アリスインワンダーランド』という映画のセリフです。「不思議の国のアリス」から時が経ち、19歳になったアリスが、無理やり結婚させられそうになったことで逃げ出し、またもや不思議の国に迷い込むというストーリーになっています。しかし、不思議の国は以前とは違い赤の女王に支配され、以前までの世界は見る影もなく荒れてしまい、アリスは救世主として、白の女王と一緒に、赤の女王との戦いに挑むことになります。しかし、最後の決戦を前にしても迷いを抱えたままのアリスに白の女王は、この言葉をかけるのです。 このセリフだけを聞くと非常に偏った意味の言葉に聞こえてしまうかもしれません。しかし、生死をかけた戦いの直前に、白の女王が、自分たちの命運を握るアリスに、この言葉をかけたことは容易なものではなかったのではないでしょうか。「やっぱり戦いたくない!」なんて言われた日には自分たちの国は滅び、命も無事では済まないでしょう。白の女王の覚悟をもった発言は、白の女王自身も、自分の人生に誇りをもっていることの現れなのかなと感じます。 他人の気持ちを考えて生きることは、「言葉」と「想像力」を持った人間として重要であることは間違いありません。しかし、他人を喜ばせるために、他人を苦しませるために、他人に気に入られるために、他人に復讐するために生き方であっても、見方や仲間、敵がいたとしても、結局のところ、戦うのは自分自身ということを言われているのではないでしょうか。 他人を気にして決めたことも 自分が望むことを決めても戦うのは自分次第 ほんとうはどういう人間なのか。それを決めるのは能力ではない。 どんな選択を積み重ねていくかだ これは2002年クリス・コロンバス監督作品『ハリー・ポッターと秘密の部屋』という、あの有名な針ポッターシリーズの第二作目にて、ダンブルドア校長が主人公ハリーに投げかける言葉です。主人公のハリーには能力的な点で、闇の魔法使いの黒幕であるヴォルデモート卿との共通点がある。しかし、あなたは彼とは全く違う。その違いや差異を生み出すのは、選択の積み重ねであると説いています。 私たちの生活は日々が選択の連続です。流れゆく生活の中で、その選択を疎かにしてはいないかと呼びかけられているように感じます。先ほどの『アリスインワンダーランド』の名言からの流れで考えてみれば、過ぎ去る日々の中で、いくつもの選択を蔑ろにし、選択基準を「他人の人生においてどう思われるのか」と置いてしまう事で、私たちは次第に自分の人生から大事なものを失っていきかねないのではないでしょうか。大切なのは自分がどうしたいのかということなんですね。 自分の選択の積み重ねが自分を作る どうして、みんなに合わせようと必死なんだい? 君は生まれつきすばらしいひとなのに このセリフは2003年デニーゴードン監督『ロイヤル・セブンティーン』という作品のものです。実の父が爵位を持つ英国の政治家で、会ったこともありません。そこで単身イギリス・ロンドンに乗り込み、父親の屋敷に住むことになります。次第に周囲の視線を気にし、合わせて令嬢らしく振舞うようになります。それは本来のダフネ自身の性格からかけ離れたものであり、彼女のことをよく知る青年のイアンは、彼女にこの言葉を投げかけるのです。 映画ということもあり、表現に多少の誇張が見られる場合もありますよね。 ありのままの自分を忘れない 彼らのせいで、私たちは自分にも他人にも無関心になってしまった。 考えるのは、自分の利益ばかり。 私たちを目覚めさせず、利己主義に凝り固まったまま、 無感覚の状態に保つ。 そうすれば、存在がバレることもない。 それが、彼らの生き残り戦術なのです。 このセリフは1988年ジョンカーペンター監督作品『ゼイリブ』という作品のものです。 私たちの日々の選択の判断基準は一体どこにあるのか。「他者」であるのか、「自己の利益」であるのか、その時々で変わるものであるとはいえ、自分がしようとしている選択が何を基準にして決めようとしているのか、立ち止まって考えてみることは非常に大切であるように思います。 今、自分が選択しようとしていることに置いている判断基準は、 本当にそれでいいのか。 人生はいつでもやり直せる。今この瞬間にも このセリフは2001年キャメロン・クロウ監督『バニラ・スカイ』にて、遺産を相続した富豪の若者であるデイヴィッドは、いろいろな人と遊んでいるなか、親友の恋人であるソフィアと一晩だけ関係を持ってしまいます。それを知った遊び相手は、嫉妬に狂い殺されかけてしまいます。命は助かったものの酷く傷の跡が残り、そこから人生が急降下。そのソフィアのセリフがこの言葉になります。SFのような技術によって現実になった時、人はやり直すことを選択できるのか、そしてその選択は正しいのか。 先ほども述べましたが、私たちの生活は日々選択の連続で、その判断が正しいのか間違っているのかはわからないのです。そもそも正しい、間違いと決めることがお門違いな話でしょう。 いつからでも本当の意味で生きることを始められる ここまで映画の名言を通してお話してきましたが、自分の生き方を見直せるヒントくらいは紹介できたのではないでしょうか。この記事を読んでくださる方が何歳で、どんな人生を歩んできたのか、私に知ることはできませんが、どうかこれらの言葉たちの意味の本質を受け取っていただければ幸いです。 ある映画の手紙の言葉をもってまとめとさせていただきます。 最高の人生をおくってもらいたいけどね。 色んなことにびっくりしたり、初めての感情に揺さぶられたり、いろんな価値観を持つ人に出会うことを祈っているよ。 誇りを持てるような人生をおくってもらいたい。 そして願わくば、見失った時にも、最初からやり直す力を持てますように。 2008年デヴィッド・フィンチャー監督 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』より
どのような生き方をしたとしても結局、現実を戦うのは自分一人なのかもしれません。
いくら自分が生まれつき素敵な人だからといっても、TPOではマナーが大切なこともあります。
しかし、あまりにも他人の視線を気にしすぎるあまり、自分自身を忘れてしまうこともあるのではないでしょうか。すっかり他人の人生を生きていることに気づけずにいる時、この言葉を思い出すと、ハッとさせられるような気もします。ありのままの自分を忘れないことは大事なのです。
この言葉はアメリカの社会を風刺するこの映画の冒頭に、主人公であるネイダーはテレビで放送される演説を目にします。そこで語られる内容のセリフになります。彼はやがてあるサングラスを手に入れます。そのサングラスをかけると、人間と入れ替わることで社会を支配しようとしているエイリアン(彼ら)の姿が見えるようになるのです。
私たちの生きる現実はここまで単純ではありませんが、社会に対して感じるモヤモヤをハッキリと言葉で表しているように思います。
それでも私たちは選択を迫られています。しかし、そのことに気づけずに過ごしている瞬間は多いでしょう。
そのことに気が付けたとき、人生を最初からやり直すことは叶いませんが、「本当の意味で生きる」ことの足がかりが見えてくるのかもしれません。
そして、それは「今までの人生が無駄な時間だった」ということを意味するわけではありません。なぜなら、その時間があったおかげで、そのことに気づくことができたのですから。

