十月も今日で終わり、明日から十一月です。月が替わると、何か新しいことを書かなければと考えてしまいます。今日は少し立ち止まって、お内仏にお供えする花のことをたずねてみました。
真宗大谷派三条別院の「お内仏のお荘厳・お給仕」には、花瓶について「四季折々の花をさします」とあります。特別な日だけではなく、平常のお荘厳の説明に、この言葉が置かれています。
「四季折々」と読むと、移っていく季節が、お参りの場にも届いているように感じます。作法を確かめるつもりで開いた案内から、花と日々関わることへと、私の関心も移っていきました。
花を供えることを、きれいに飾り終える仕事とだけ考えるなら、整ったところで一区切りになります。でも、生きている花は、そのあとも同じ姿ではありません。水のことを気にかけ、花の様子を確かめる。お飾りには、整えて終わりにはならない関わりがあるのですね。
私も、何かを整えると、それで済んだ気になりがちです。お内仏の前に座ることまで、済ませる用事の一つにしてはいないか。花の説明を読みながら、自分のお参りの受け止め方を考えさせられました。
花を長く美しく保てたかどうかで、信心が量れるわけではありません。ただ、日々のお給仕を通して、同じつもりでいた今日が、昨日とは違う一日だと気づくこともあるのでしょう。新しい月を迎える前に、いつものお参りを、もう少し丁寧に受け止めたいと思います。
出典:真宗大谷派三条別院「お内仏のお荘厳・お給仕」「平常時のお荘厳」⑧前卓・花瓶の項。
飾って終わりではなく

