「無形の存在」
肺一枚 捨てて、
はじめて、
空気の存在を
実感しました。
無形の存在を、
たしかに、
受容できました。
~鈴木章子『がん告知のあとで』~
肺の摘出施術を終えたころ、病室へ行きました。母は横向きに寝ておりました。ベッドの手すりに白いタオルが括りつけられ、脇のほうからチューブが見え、チューブからは血が流れるようになっておりました。
姉から、その「白いタオル」の理由を聞きました。母は手術日が近くにつれて、不安で仕方がなかったようです。そんなころ、同室の方が助言をしてくださったようです。「術後は痛みが襲ってくるから、ベッドの手すりにタオルを縛り付け、そのタオルを引っ張り続けると痛みが和らぐよ」と教えてくださいました。言われた通りに、母はタオルを引っ張り「痛みと一つ」になり耐えました。
術後の痛みから「どうして、こんな目にあわねばならないのか」という思いや憤りがこみ上げてくるだろうに。そのタオルがこみ上げる思いを拭い、身の事実と一つにさせて下さったのだろうか。白いタオルの有難さ、お念仏とは別のことではないように思えます。
『存在』のあり様を、仏法では『因縁生(起)』と教えてくださいます。「万物、すべてのものが、因縁によって起る」と申します。概念として理解しても、私どもの五感には限りがあります。すべてを認識することが出来ません。スマホを検索したところで、只今、隣の家で何が起こっているのか知る由もありません。暗闇のスポットライトのような限られた認識の中で、さらに自他を分別していく私。痩せ細っていく自我のあり様に、命の方から命を自証されてくださったというのでありましょう。
真宗門徒に伝わる「如来のお手回し」という言葉は、こういうことなのかもしれませんね。母のいわれる受容とは「無知の知」なのでありましょう。無知の自覚に不可思議光が輝いておられる。
南無阿弥陀仏。(コメント/啓介)

