前住職鈴木真吾の葬儀にご参列くださいましたこと、心より感謝申し上げます。お一人お一人と対面しますと、「長い間、お世話になりました」と感謝の念があふれてまいります。「一緒に頑張ろうね」と涙ながらの声も賜りました。父ほどの才覚は到底ございませんが、何卒、ご厚情とご指導を賜りますようお願い申し上げます。

 

12月29日、札幌の病院で息をひきとり、杉山さんがすぐに手配してくださりまして、当日の午後6時過ぎに西念寺に帰ってくることができました。すぐに、家族と総代世話方さんとで『枕勤め』をすることが出来ました。

 『枕勤め』は、亡き人の今生における最後の勤行と申します。残された者が亡き人になりかわり弥陀の本願に感謝いたします。生死という出来事は個人にとどまらず有縁の人々にとっても与えられた出来事であります。生まれる時に「おめでとう」と分かち合い、亡くなる時に「ありがとう」と分かち合うものなであります。それゆえに残された私どもの上に如来のいのちとなりて生まれてくださる命もあるのでしょう。父と対面しますと「お帰りなさい。」という思いがこみ上げてきました。「束縛の業から解放されて帰る所に帰ってきたのですね。」と、より身近な存在として我身で感じる大切な時間でした。

 このお荘厳は、お釈迦様がご入滅された『双樹林下往生』光景を表現していると申します。南無阿弥陀仏のご本尊は『西方浄土』。頭をお内仏から右側にして安置することを『北枕」ともうします。白い華は、ご入滅を多くのお弟子が悲しみ、生きとし生けるものが悲しみ、鬼も悲しみ、木々まで白くなりました。金子先生がご入滅(涅槃)のことを「完全燃焼」と言われましたことが思い出されます。私は、この白は悲しみの色であるけれど「父さん、よく頑張った」の色だと頂きました。二本の蝋燭は「法灯・自灯」と申します。お釈迦様のご臨終の間際に、お弟子が「お釈迦様がお亡くなりになったら、私どもはこの先どう生きていけばよいのでしょうか。」と尋ねたところ、「私の説いた教えを灯として、自分自身を明らかにして生きていきなさい。」と言われました。畠山先生は「亡き人の声が聞こえるかい」とお通夜の席で語りかけているといわれます。確かに、前後左右上下から様々な声が聞こえてきました。思い起こされる良い言葉も良くない言葉も父であり取捨選択することなどできないです。今は、聞こえるままに頂くばかりであります。

12月29日から1月5日まで、毎日のように総代。世話方の皆さんが葬儀の準備をされてくださいました。「年末年始に、申し訳ありません」というと「なんもだあ」と言って下さる。準備のないの日の朝に「画鋲を持って帰ってしまったので、返しに来た」という方。お正月休みでご連絡の案内ができないとき手助けしてくれた友人達。会館の切れた電球の交換のため在庫を一生懸命さかしてくれたり、父の写真を一生懸命探してくれた若い総代さんたち。父の足跡を姉からしっかり聞き取りご挨拶をされてくださった総代長。盛大に華を飾ってくれた弟の友人。除雪されたり寒い中での駐車場がかりの方々。僧侶の接待係の皆さん。毎日、ドライアイスを交換してくれた葬儀店のみなさん。会計を引き受けてくださったみなさんと息子の友人。仏具磨きやトイレ掃除を一生懸命していた姉と弟夫婦。法名軸に名前を張り付けていた孫たち、毎日、掃除にご飯と大忙しの坊守。私自身は何をしていたかあまり記憶がありませんが、温かいご縁に包まれておりました。本当に嬉しかったです。

 お寺のご住職の皆様にも感謝しております。女満別の満照寺ご住職に儀式を差配していただく掛役をお願いしました。母の葬儀のときには前住職が掛役をしてくださり、何から何まで親子2代のお支えです。父が亡くなった翌日に素晴らしい白い立華をたててくださりました。本岐の本照寺ご住職と仁頃の聖光寺ご住職も掛役をしていただきました。本照寺ご住職は、お会いするたびに「お父さん、元気か」と気にかけてくださり、昭和生まれの会という活動を立ち上げ、私の知らない父の全盛期をともにされた方です。聖光寺ご住職は大事な友人で組長をされております。組長弔辞では「名利に生きてきた自分が恥ずかしい」と慚愧の言葉でしめくくられた。ひとりの念仏者として語ってくださったこと心に染みます。

ご導師を務めてくださいましたのは、清里の法友寺ご住職でした。院号法名も家族と一緒に考えてくださいました。最初の一文字を「智」にするか「学」にするかと迷いましたけれど、やはり「学」にしようとなりました。学という行為が父を物語るような気がいたします。父は大学の教授を目指して大学院博士課程で論文を書いていたそうですが、祖父の急死もあり、家族に懇願され住職となりました。私に何度か「ばあちゃんと兄弟が泣いて頭をさげるものだから」と言っておりました。今思うと、辛いとき苦しいとき、その決断に立ち返っていたのではないかと感じます。同時に「与えられた場で花を咲かせよう」と地域のことに広く深く関わっていきました。学ぶということは、へこたれず、与えられた境遇を乗り越えんとする奮闘記。数え切れぬ書籍を見ておりますと力の限り頑張ったと思います。

お通夜のご法話をされてくださり門信徒交流会館を建てた前住職の願い、生死をこえて、人と人、仏と人がであっていける場を開きたいとの志をわがことのように熱くお話くださいました。父が書き残した手紙に「だから、最後に、鈴木姓を継ぐ西念寺住職たるものは、縁につながる者たちが、いつでも疲れた翼を休めに赴くことのできる処であるよう守りつづけることを切望してやまない」と書かれておりました。私は法名の前で「それなら、父さん、この難題、いっしょにやろう」と伝えました。

1月8日。修正会(おはつまいり)の案内状とカレンダーの発送のために世話方さんが集まってくださいました。夕食をしながら「なんか、毎日のようにお会いしてご飯を食べていると、家族みたいだね」と言われ、皆さんが微笑みました。私もそうあり続けたいなあと願っております。月のお参りでカレンダーがかかっているのを目にしまして、班長さんもお寒い中、すぐに一軒一軒配達してくださったのだと実感させられます。有難いことです。

最後に、長文になりましたが、うっかり者で忘れっぽい私ですから、皆様の御恩徳と願いを思い起こせるようご報告いたします。今後ともご厚情とご指導のほど何卒お願いいたします。

前住職の葬儀を終えて

真宗大谷派 西念寺


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