『同朋』
みんな同じ身でありながら、
私が病人だからといって、
美しい花をもって、
お見舞いくださる。
尊いこと。
ありがたいこと。
(杉本さん宝仙花をもってお見舞いに来る)
~鈴木章子『癌告知のあとで』~
みんな同じ身。仏教では、誰もが「独生独死独去独来」と申します。誰にも代わることのできない人生であり、突き詰めれば「私の世界は私ひとり」と自己保身の壁の内。それでありながら、あらゆる存在は縁起の法であるがゆえに、壁に穴が開いてしまう。壁の内に育まれるのは被害者意識ではないだろうか。
当時、入院している母のお見舞いに様々な方が来られました。帰り際に「頑張ってね」と多くの方々が声をかけてくださるのですが、私は嬉しくなかったのです。「頑張れというけれど、これ以上、どう頑張れというのさ」と腹を立てていました。そのことを父に伝えると「腹を立てることではないぞ。それは悲しいということだ。それ以上の言葉が見つからない悲しみが分かるか?」と言われました。私自身が壁の内に籠っていたのだと知らされます。
この詩は、母が壁の外からの働きかけに心を開き味わっていかれた証。父はどうだろうか?宮城しずか先生が「自分のあり方に痛みを感じるときに、他者の痛みに心が開かれる」と言われます。人の弱さや痛みを感じる人だから、同じ景色を見ている気がします。私は? 痛いのが大嫌いだから壁に空いた穴を塞いでしまう。仏様の利剣の前に身を据えるだけ。「利剣は、是れ即ち名号なり」と申します。
南無阿弥陀仏 (コメント;啓介)
まもなく、杉本さんのご法事があります。母への花の諸仏の輝きに心より感謝。
同朋

