9月6日、真宗大谷派北海道教区第19組斜里ブロック研修会が、西念寺にて開催されました。始まりは「真宗同朋婦人研修会」という研修名でした。当時の坊守さん達が共に勤行の練習をしたり、得度を受けるために東本願寺にいかれたりと、ともに育ちあう関係の中で企画された女性主体の研修というのが出発点でした。今では男女と問わず身近なところで聞法できる場となっております。いわれを大切に坊守は一生懸命。婦人会長さんも朝早く準備にこられ、婦人部の方と男性もお手伝いくださり有難い事でした。遠方より足を運ばれた方も多く、出会えたこと、再開できたこと嬉しく思います。

参加者は40数名でありましたけれど、講師の日野賢之先生は、のどかな雰囲気を楽しむようにお話してくださいました。お話の中で「みなさん、勉強しましょう」と呼びかけられていたのが印象的でした。勉強しないと間違った受け止め方になってしまう。例をだして「今度」という言葉は、「次の機会に」ではなく、「このたびは」ということ。「次の機会に」というのは「また今度」というのだと指摘されました。昔の文章を読んでいくには、現代の「また」という言葉を省いた意味では誤解を招くのだと。また、蓮如上人の御文に「後世」という言葉があるけれども「後世」は「あの世」のことではなく、「お釈迦様がお亡くなりになられた後の世」と、残されて久しい私どもの世という意味だと教えられました。自分の間違った領解を修正していく・・・勉強しましょう。これは一般社会にも同じような事が言える気がします。
神様についても、蓮如上人の領解が御文のなかに書かれていると教えてくださいました。

神に「神明」と「鬼神」があるというのです。「神明」は、仏法にご縁のない方でも何とか地獄に落ちないように「神」として現れ、仏法に導こうとされていると領解されています。また、私どもに「畏敬の念」をおこさせるのです。それがないものは「鬼神」であり「自分さえよければいい」という「鬼の精神」という意味だと教えてくださいました。学問の神とよばれる「菅原道真公」がまつられる天満宮で一例を話をしてくださいました。菅原道真公の生き様を偲び「これではいけない」「私も勉強しよう!」というのは「神明」でありましょう。「自分だけ合格させてください」と願掛けすれば「鬼神」。私どもは菅原道真公を「鬼神」にさせているのじゃないか。
蓮如上人は1415年にお生まれになられた本願寺8代目のご門首です。室町時代には、このような領解と布教がなされていたと教えてくださいました。どうも、私どもは大雑把な知識で多くのことを誤解し続けているのようです。日野先生を通じて、蓮如上人が「私たちは、いつも、本当でないことを本当だと思い込んでしまう。だからね、勉強しましょうね。」と呼びかけられている気がします。大事な姿勢を教えていただきました。

