もう少しで報恩講です。 今年もコロナ対策で短縮です。 力んでみても仕方がないよ。 以前、恩師が「大きな声を張り上げればいいってもんじゃない。」と、声を張り上げてた。そうかなって思うところ・・・あります。

食前のことばってあるんですけど

みひかりのもと 

われいまさいわいに 

このきよきしょくをうく 

いただきます

しきたり・作法といっても、意義を忘れると「また言ってない!ダメでしょ!」だけの物差しです。そうじゃなくて、アスリートがホームグラウンドで体調を回復させるように、私どもの乱れた心身が回復させられる…そういう働きもあります。それもこれも意義があってのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園の本棚に立てかけてあった。まずは、 叱るよりも こういう本を読んであげるといい。 親しみがもてます。「うちのムスメが食事を残さなくなりました。」なんて、 読んでみたくなるでしょ。

この言葉は、母(鈴木章子)が幼稚園のお友達のために書い直筆です。 こどもの表白(歎徳文)みたいなものです。

昭和40年代から受け継がれてきた制作帳なんです。これが子供たちのお荘厳。

親鸞聖人の頭にリボンがついてる! 実際には出来ない離れ技です。

この子の有難うの表現なんですね。 とても楽しそうです。

これは、あるクラスで成道会の発表会でうたう曲です。担任の先生が仏様の願いを考えて、歌を選んだのでしょうね。 歌えばいいってことじゃなくて、歌詞に込められた心に出会ってく、リスペクトといいますか、受け止めていく行為でありましょう。

私たちでいえば、勤行にあたるのかな? きっと、そうだよ。 ・・・

大谷大学入りたてのころ 実家に帰ったとき、母に涙ながらに不満をぶちまけたことがありました。

お経は難しすぎる!漢字ばっかりで良くわからない!

そうすると、「なにが難しいの?」と、母が座敷から正信偈の本をもってきて、私にはなし始めました。 「測り知れないいのちに手を合わせます。限りない知恵に手を合わせます。 昔々、法蔵菩薩という方がおられました。菩薩さまは世自在王という仏様のところへ行かれました・・・・ほらね。」

スタンスの違いかな。音楽家が歌うような行為じゃなくて、「ほらね」って、こども達のように歌う、お勤めしていたんだなって感じます。しまいには泣いてましたよ。夜に茶の間の隣の座敷からすすり泣きが聞こえて、家族がの恐る恐るのぞいてみると、母でした。「うれしくて うれしくて・・・」と言ったそうです。いろんなことがあって・・・沢山聞こえてきて・・・いつのまにやら、仏様の心を受け止めてたんですね。みなさんにも、歌えばジーンとくる忘れられない歌がおありかと。

子供たち、1か月かけて報恩講してますよ。私たちも、報恩講いたしましょう。

南無阿弥陀仏 11月7日(日):副住職より

【雉のつぶやき】もう少しで報恩講

真宗大谷派 西念寺


初めまして。 北海道斜里町の真宗大谷派寺院の西念寺のホームページです。 法務の連絡をはじめとして、ブログ等も更新していく予定です。 ご不明なことがございましたら、お問い合わせください。


投稿ナビゲーション


 真宗大谷派 西念寺            をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む