お西さん(本願寺派)から出版されてる、正信偈等を英語に翻訳している書籍を注文しました。昔、恩師が「仏教の本は直ぐに絶版になるから買っておきなさい」と常々言っていました。
法蔵館という本屋さん、仏教の本を取り扱ってくれているので、どうぞ ごひいきにしてください。https://pub.hozokan.co.jp/
ユーチューブでも配信されてますよ。

それから、鈴木大拙という方の英訳された親鸞聖人のお言葉を、もう一回、日本語に翻訳した本も買ってみました。
鈴木大拙先生(1870年~1966年)は、親鸞聖人の1961年の700回目の御遠忌(ご法事)の頃には、仏教界の第一人者としてご活躍されてました。
昔、ホテルのテーブルの引き出しによく入ってました。この本をお書きになられた先生です。
私は思うんです。
専門用語の壁は高いなあって。
イソップ童話の「アリとキリギリス」が全部漢字だったら味わえないよ。
このお話を今の自分の胸に聞く。
私はアリなのかな、それとも、キリギリスなのかな
その時々に 違って思えるけど、
自分で味わっていける。
…出来たらいいよね。
それで、一回、英語に翻訳されると日常の英語になって、それを日常の日本語に還していく。そういうご苦労をされてる方々がいるんですね。いったんストーリーが体の中に入ってくる。それが大切かなって思います。
お念仏にしても、「阿弥陀様ー」って叫んでるけど、大無量寿経というお経の中に「去(過去)・来(未来)・現(現在)の佛、佛と佛と相い念じたもう。」それがお釈迦様のお念仏。やっぱ、それがルーツかな。
この世はすべてご縁(因果)だというお釈迦様ですから、如来の因果を感得されていたことでありましょう。だから、過去・未来・現在というているでしょ。
ある有名人がお葬式にいくと、何故か笑ってしまうと言ってました。「禿げたおっさんがわけのわからない事をいって、みんな黙っている。一体、この空間は何なのだと思うと、笑えてくる」ということです。・・・世間の因果では、そう映るかもしれませんね。
南無阿弥陀仏が届いているのは世間の因果ではないってこと教えてくれてる。
昔、村上さん(大先輩)が斜里のつぼ八で「お念仏が届いているって、凄い事なんです!」「あんたも、そう思わないか」と興奮して語りかけてきて、私は、ずっと下を向いてました。「あんたにとって 南無阿弥陀仏とはなんだ!」と、さらに問いただされ冷や汗がとまりませんでしたね。
今は、[現前に如来の世界が見いだされた]ということだったのじゃないかと、当時をしのんでおります。「ちっがーう」と言われるかもしれないけど。
それが、私の今だから。
多くの方がお聖典を味わえて、主体的にいろいろと思いを巡らせられるようになればいいなっておもっております。
南無阿弥陀仏
(あら、息子がさっき投稿したみたいです。投稿:副住職)