真宗大谷派 西念寺            

父の死

父の死

 

お父さん

死ぬという事は

消滅するのではなく

変容することなのですね

火に焼かれるあなたを思っていたら

そのようにわかりました

 

 

~鈴木章子「がん告知のあとで」~

 私の記憶がおぼろげなのですが、母は父親(小川殊諦氏)の火葬の時に、火葬場の煙突から出てくる煙を眺めていたと言っていたように思います。後日ですが、父親の遺品のカメラを現像すると雲を映した写真で一杯だったと、実家から連絡をいただき、胸を詰まらせておりました。「わかりました」の一言の中に、父と娘の頷き合う姿が憶念されます。

 この詩に、母が亡くなった当時の記憶が蘇ってきます。母の火葬の間、私は自問自答しておりました。「私が死んだとき、閻魔大王に右の道と左の道があるので好きな方を選べと言われたらどうする?左の道の先には粗末な家があって母がいる。右の道の先には立派な建物があって仏様が沢山いる。さあ、好きな方を選びなさい。」と。私は答える。「母の方へ参ります。なぜなら、右の建物にいくと肩身が狭いのです。私は認められたい一心で、未来永劫、嘘をつき続けなければならないと思うのです。私は嘘をつかなくてもいい世界へ行きたいです。」と。

 自分自身の答えに、今まで頭に描いていた浄土は自我の欲望を投射した映画館のスクリーンのようなものだと知りました。仏道に伝わる「月指の喩」、「私は月の在りかを指で示そうとしているのに、なぜ、貴方は指を見て月を見ようとしないのか」というお言葉が響いてまいります。南無阿弥陀仏の一声は、いつでも、どこでも、誰にでもあたえられた「回心懺悔の家」なのかもしれませんね。

 南無阿弥陀仏 (コメント;啓介)

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