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一瞬の真実

『一瞬の真実』

 

今、一瞬が

真実であれば、

それでよい。

 

一瞬 一瞬の優しさに、

喜んでゆこう。

 

転々と変わる心に

「あの時こう言ったのに」

だの、

「この時こうだったのに」

だの、

愚痴をいってもはじまらない。

 

その時も、

この時も、

真実だったに違いない。

 

だから、

今、一瞬の喜びを

大事にしてゆこう。

~鈴木章子 『がん告知のあとで』~

 母の兄(小川一乗氏)が病室にお見舞いに来て下さった後に、母は「そんな、諦めろって・・・」と、言葉を詰まらせ不機嫌な様子でありました。家族でも、そのような話はなかなか出来るものではありません。あらためて、どれだけのものを背負って妹の病室にこられたのだろうかと想いを巡らせておりました。

「諦めろ」とは、「一歩退いて見つめる」こと。「誰もが諸行無常。延命ばかりに捕らわれるより、今、この時を精一杯生きてほしい」とのお気持ちだったのじゃないかと。当時の私には考えることも出来ず、偏見ばかり膨らませてしまい、申し訳なさがこみ上げてまいります。

 叔父は著書の中で「私たちは、ガンジス川の砂の数を超えるほどの条件によって、ただいまのこの瞬間、瞬間の吐く息、吸う息をいただいている。そしてこの生死の世界をいま生かさせてもらっている。(仏教からみた往生思想)」と語られる。兄妹の二つの言葉を眺めながら、血脈だけではなく法脈が流れているのが伝わってまいります。

 南無阿弥陀仏(コメント:啓介)

一瞬の真実
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